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2019.11.21 社長ブログ

じーちゃん。

じーちゃんは酒癖が悪かった。

酒だけが生き甲斐のような人だった。

それに、生まれてから

死ぬまでの間、まともに働いたことがない。

親から相続した財産を喰い潰しながら、

毎日、毎日、お酒を呑んで生きていた。

僕が10歳の頃、

家族で新年の挨拶をしに行った時、

酒に酔ったじーちゃんは、急に立ち上がり。

「うるせーガキを連れて来るんじゃねー」

と、怒鳴りだした。

その場で母親、兄貴、ばーちゃんは固まった。

その瞬間、

親父も立ち上がり、怒鳴り出した。

「お前は、孫にまでそんなことを言うのか?」

じーちゃんと親父は掴み合いになりました。

親父は、酒乱なじーちゃんを忌み嫌っていた。

憎んでいたかまでは聞いたことはないが、

嫌っていたのは間違いない。

親父は高校生の頃に、

ばーちゃんと弟二人を連れて、

何度もじーちゃんから

逃げたことがあったらしい。

僕は、

じーちゃんに殴られたことはない。

だけど、大好きだった。

ばーちゃんを泣かしている、

じーちゃんは嫌いだった。

ただ、

じーちゃんが書く絵だけは好きだった。

酒に溺れ、

たくさんの人に迷惑をかけ、

最低な人間だったらしいけど、

クレヨンで繊細な風景画を書く。

絵の才能があったかまでは

分からないけど、

少なくとも

じーちゃんのことを“大嫌い”に

させないだけの才能があったのは間違いない。

あれだけ、

暴れる人間が繊細な絵を描く。

きっと、弱く、

繊細だからこそ、

描けるのだと思う。

酒に呑まれ、

ばーちゃんや親父たちを殴り、

自分の理屈に合わない社会に怒りを

感じていたのだろうか。。。

そんな、じーちゃんは、

確か、僕が五年生の時に

亡くなったと記憶している。

前日の夜、

眠りについたまま、

苦しむことなく亡くなった。

通夜に来ていた

誰かが嫌味を言っていた。

「普通、あれだけ迷惑をかけたら、

苦しみながら死ぬもんだけどなー」

その陰口に違和感はなかった。

これで、

ばーちゃんが楽になると私は思った。

しかし、

ばーちゃんは通夜で泣いていた。

とても辛い思いをさせられたのに泣いていた。

ばーちゃんの涙を見て、

この場にいてはいけないと思い、

母親に外に連れ出してもらった。

愛情って、何だろう、、、と、

初めて考えさせられた日だった。

じーちゃんが強ければ、

ばーちゃんや親父たちは、

幸せな時間を過ごせたはずだ。

じーちゃんが酒さえ呑まなければ、

ばーちゃんや親父たちは、

夜に怯えず眠れたのだろう。

弱さは罪だ。

親父はあまり酒を呑まない。

じーちゃんの影響だと言っていた。

親父は、じーちゃんのことを語らない。

いつも真面目で強く生きている。

サラリーマンとして立派に勤め上げた。

親子って、反対の道に進むのだろうか?

僕は、今、会社を経営している。

サラリーマンを定年まで勤め上げる

精神力がないのは幼い頃から分かっていた。

ただ、

どんな生き方であったとしても

強く生きることだけは決めている。

親父のように強く。