記録と記憶
過去とは、
記録のことだ。
記録と記憶は全く異なる。
記録と記憶を
混同させてはいけない。
自己都合なストーリーが創られる。
なぜなら、
希望や願望を含んだ
記憶の断片が大きく膨らんで、
大切な真実が覆い隠されてしまう。
つまり、
記録とは、事実の集合体。
記憶とは、揺らぎやすいもの。
恋人同士でもよくある話。
貴方は、
こんな人ではないと
信じていたのに・・・
親子間でもよくある話。
あの子は悪い子ではなかった。
あんなに勉強が好きだったのに・・・
人は見たくないないものは見ず。
人は信じたいようにしか信じない。
記録と記憶を混ぜ合わせると
相手に期待もしてしまうから失望も生まれる。
愛する人や思い出を美化して、
勝手に事実をすり替えるのやめよう。
最初から、
信用してはいけない相手だっただけ。
最初から、
勉強が嫌いな子供だっただけ。
何度も書くが、
記録とは無味乾燥な事実でしかない。
決して、それ以上であってはいけないものだ。
最近、
知人と明治時代の
歴史に関する熱い話をした。
私は歴史にストーリーを求める。
素敵なストーリーの方が好きだからだ。
しかし、
自分の頭の中以外では事実を着色したりはしない。
つまり、
記録を理解した後に自分なりにストーリーを作る。
あくまで、自分の中だけの物語だ。
ただ、
歴史を話し合う場において
個人の願望を含んだ着色を
されてしまうと冷めてしまう。
下手な脚本家の物語は聞くに堪えない。
そういう人は、
嘘つきで頭の悪い人だと認識される。
事実は事実。物語は物語。
記録と記憶は異なる。
実際に、
裁判などでは
記憶は証拠能力としては弱い。
誰かの記憶で冤罪があってはならない。
知らず知らず、
私自身もそうなる時がある。
常に客観視できるような人間になりたい。
「過去ブログ」
’’正義’’の剣