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2020.06.02 社長ブログ

カナリア

カナリアとは、

最も美しい泣き声で鳴く。

 

 

 

先日、

テラスハウスに出演していた

女性がSNS上での誹謗中傷を

苦に自ら命を絶ったらしい。。。

 

 

一人の尊い命が失われた。

 

 

現在、社会問題となっている

ネットの書き込みなどについて

私なりに考えをまとめてみました。

 

 

 

大前提としては、

ネットで悪口を書き込みをする

人たちは暇なのだとしか思えない。

 

誹謗中傷を書いている人たち自身も

SNSという狭い鳥籠の中にいるようなもの。

 

自分の人生の

虚しさや寂しさを

誤魔化すために

自分の個人情報がばれない

安全圏のみで悪口という手段で

日々、憂さ晴らししているのだろう。

 

 

所詮は、雑音でしかない。

 

 

しかし、

残念なことに

それでも大切な命が失われていく。

 

無残に。。。

 

 

木村さんは、

まだ、22歳だったのに。

最高に楽しい未来があったのに。

 

 

こんなこと大したことではない、

と、言ってあげられる大人は側に

居なかったのだろうか?

 

SNSを止めてしまえば

不要なストレスなく生きれるよ、

助言する友人はいなかったのだろうか?

 

誰にも相談できず、

苦しみ続けていたのだろうか?

 

想像するだけで胸が苦しくなる。

 

 

追い詰められた人間は

優しい前向きな言葉は届かず、

刃物のような言葉だけが突き刺さる。

 

きっと、

安心して眠りにつけなかっただろう。

 

涙や恐怖で震えて、

夜が越せなかったのだろう。

 

何をどうしていたら

無事に朝を迎えられたのだろう?

 

 

もう、時間は戻らない。

木村さんの大切な命も戻らない。

 

 

逃げればよかった。

辛いことからは逃げればよかった。

立ち向かう必要なんか全くなかった。

 

言葉の刃物に

立ち向かっても

傷が増えていくだけだ。

 

 

「助けて」と泣けばよかったのだ。

「辛い」と逃げればよかったのだ。

 

屁理屈という武器で攻撃する人間に

まともな回答も正義も心も一切通じない。

 

木村さんが何をしても

攻撃の手を休めなかっただろう。

 

理解し合えることなんて絶対にない‼︎

 

次のターゲットが現れるか、

飽きるまで攻撃を続けるのだ。

 

そんなものに付き合う必要はなかった。

 

 

松本人志さんが、

「匿名で悪口を書いてる人。。。

匿名は良い行いをする時に使うのですよ」

 

と、ツイートした。

 

正にその通りだと思う。

 

 

 

ある、俳優やタレントが言った。

 

芸能人だからって’’心’’はあるから

発言には気をつけてほしい。

 

確かに、そうだ‼︎

芸能人も人間だし、心がある。

 

誹謗中傷は許されない。

 

ただ、

それであれば

我々を’’一般人’’と

呼ぶ目線をやめた方が良いと思う。

自分を

‘’特別‘’だと

思っていなければ

一般人とは呼ばない。

 

その目線が暇人の怒りに火を注ぐ。

 

「芸能人(有名人)だから

批判される覚悟くらい持て」

と、いう人たちがいるそうだ。

 

決してそうは思わない。

 

しかし、

時に強者、時に弱者

と、立ち位置をコロコロ変える

曖昧なスタンスの芸能人を見ていると

都合が良いなぁーと感じてしまう。

 

 

「発言に意味がある」

「無知でもいいじゃん」

「私の発言がきっかけで皆の考える

きっかけになればいいと思って・・」

 

過去にこんな発言を何度か見た。

理屈にも屁理屈にも聞こえる。

 

芸能人も政治的発言をすべきだし、

社会的な問題を議論させるの大切だ。

また、芸能人にも自由や権利はある。

 

 

しかし、

それであれば、自分の考えを

コピペのように理解(共感)する

信者がいて強い影響力があることの

自覚と覚悟を持った上で発言すべきだ。

 

直ぐに、投稿を削除したりせず

自分の考えを通す強さも持って欲しい。

 

強い批判があったから削除ではなく、

批判があるからこそ突き通して欲しい。

 

 

強い信念の前では、

誹謗中傷なんて無力でしかない。

大人たちはそう教えるべきだ。

 

いずれにせよ、

芸能人に対しても

絶対に誹謗中傷は書いてはいけない。

 

 

 

話が逸れましたね。

 

このまま、

木村さんの死を悲しむだけでなく

残された人たちは

次の被害者を出さぬよう、

誹謗中傷に関する罰則の

法整備を整えるべきだと思う。

 

簡単に心は鍛えられない。

 

それであれば、

法治国家として法律を作るべきだ。

 

 

たとえ、自殺であったとしても、

人が人を追い詰めたのであれば殺人だ。

 

表現の自由が失われる?

 

正直、そんなのはどうでもいい‼︎

 

 

「あほ、ばか、ブス、死ね」

そんな表現の自由なんかいらない。

そういう表現を使わないと

作品が作れないアーティストなんか

才能がないからやめれば良いだけのこと。

 

 

戦後70年経ち、社会も変わった。

法律も変わらなければいけない。

至極当然の話だ。

 

 

指殺人なんかする暇人は、

民事、刑事ともに償わせれば良い。

 

刑罰を重くすれば、

間違いなく、被害者の数も減る。

 

0にはならないかもしれないが、

まずは、1人でも減らすことをすれば良い。

 

 

もし、今、

木村さんと同じように

苦しんでいる人は大きな声で

叫んで、逃げ出して下さい。

 

あなたが今、立ち向かっている

敵は人の心なんか持ち合わせていない。

 

ただの‘’空気‘’です。

社会を循環している虐めだ。

 

あなたが悪いのではなく、

ただの暇潰しでしかない。

 

理由もなく、ムカツクって

思われているだけのことです。

 

空気なんて窓を開ければ変わります。

空気なんて環境を変えれば変わります。

 

 

あなたは、カゴの中のカナリアじゃない。

大きな声で泣いて下さい。

自由に逃げてください。

 

あなたの声は聞こえます。

あなたには絶対に味方がいます。

 

 

「過去ブログ」

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